ニュースレターが届く。 その中に年報「あらはれ」第9号のメッセージからの抜粋が。

   細野さん曰く「僕らの演奏は目の前にいるお客さんに対してではなくて、ここにいらっしゃる神様に捧げている」と。 それをその場の皆が一緒に聞いている。 まったく打算のない、心の収斂していく先がはっきりした音楽ほど集中力が高まり、気持ちを平らかにしてくれるものはないことを初めて知りました。 古代人の音楽もこうして始まったものではないでしょうか。 <浜口茂外也


神様は、ただ楽しむ存在なんだと私は思っているから、 ・・ん?そうすると神様に捧げることと、ただ音楽するのを楽しむのと、どこがどんなふうに違うのかしらん?(ンなこと私に判るわけないっか)  
こんなふうにできるだけ古代人みたいにして演奏に居合わせてみたい。 「聴く」というよりそこに「居合わせる」という感じの方が正しいかな?

m-poko2006-09-22

  「東京シャイネス」 DVD (初回限定版)


感想なかなか書けなかった。 だって、「そうだPC画面で再生させながら書こう」って思うでしょ・・ すると結局最後まで見入ってしまうんだもん。 周囲の人にもTVの画面で再生させて見せちゃう。(TV・・といえば以前“CS放送”のことを間違って“DVD”と書いてしまった。偶然だったけど、今思えばそのころには本当にせっせと編集が進められていたんですね。なむなむ〜 ・・ちがう)


新緑とここちよい春風、開演前の夕暮れ迫るピンク色の空〜 みんなが集まってきて・・ 少し戯れのように「第三の男」がつま弾かれ、やがてバンドが加わって音楽を楽しむ幸せな雰囲気に包まれていく。そういった空気のようなものが、渾然一体となってライブの思い出になって・・

〜ところがDVDを観てみると、自分の心に残っている記憶のほうがずっと豊かで感動的なのかなぁ・・? という気が・・

でもそれは最初のうちだけだったんです。 じっくり堪能するにつれ当日の会場とはまたちがった楽しさが次々に見えてきて・・もう、すっかり見入ってしまう。演奏が味わい深いんですね。

「ポンポン蒸気」〜 などブギのノリが、なんとも言えない。(スタンディングの京都の映像、会場全体が揺れてる♪)
ロータス・ラブ」も。せつせつと伝わってくるものがあって何度聴いてもジーンときてしまうんです。
そして九段会館の「ステラ」は霊的なものが降りてきている感じさえ。建物の雰囲気もすごくいいなぁ。


〈特典映像〉で、京大西部講堂の楽屋の映像などが見られるのもうれしい。あの時の楽屋、こんな雰囲気だったんですねぇ・・。


〈副音声〉で聞ける「照明」の話なども、「なるほど〜」。
「ハリケーン・ドロシー」の副音声のところで鈴木惣一朗さんが話されていた、(フレッド・アステア、ダンス、ハリウッドなどの)・・こういうエレガントな感じ、細野さん、これからまた歌っていかれたらいいのに 〜という意見にはげしく同感。カバーでも、新曲でも・・ いつかぜひ<(_ _)>  いづれにしてもこれからの細野さん、ずうっと楽しみにしてます。

ところでこの曲の時、私はせっかくの生演奏なのにセットリストをメモするのに気を取られてしまって・・ あらためてじっくり聴いてみると、こんなにいいムードだったんだ・・。この演奏を、再生して何度でも聴けるなんて。


〈副音声〉や〈インタビュー〉で聞ける浜口茂外也さんの、生演奏観のようなものや(細野さんの)リズム感についてのお話が、とってもおもしろい。


〈隠し映像〉で居残りして風をあつめてらっしゃる細野さん。やっとさか上がりができた小学生のような様子に、思わず「よかったねぇ〜、パチパチ」・・って・・思ったのにw・・(笑)  こういう、いろんなことの“間”と“間”を覗き見する感じおもしろいのだ☆

それから、初回限定版の 〈狭山ハイドパーク〉
以前CSで放送されたダイジェスト版と違って、こちらはMCも全てノーカット!
このDisc2は当日行っていない私にとっても宝物です。

カメラが、木々を入れた遠景やステージから見た観客側も捉えてくれていて、そこにあった空気のようなものが映像からでも少しだけ伝わってくる感じが。
だけど、何よりも伝わってくるのは、(Disc1も通してですが)細野さんが、思わず心からうれしそうな顔になって演奏されている時の空気。ほんとに。 ライブって何だ?
2枚ともこれからずっと折にふれて何度も見返していくことになりそう。



http://www.jvcmusic.co.jp/hosono/
http://www.jvcmusic.co.jp/speedstar/-/Artist/A019206.html
安い!→ http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000H5UNGO/sr=1-10/qid=1159768799/ref=sr_1_10/250-4996225-3609038?ie=UTF8&s=dvd
http://dwww-news.sblo.jp/article/1322709.html

m-poko2006-09-05

8月にとある新聞に載ってた横尾忠則さんのコラムの写真。 〜お釈迦様の涅槃像 &人魚さん〜
横尾さんによると人間の「聖」と「俗」を表しているそうなんだけど。 んーー解脱したら、こぉんな暑苦しいおっさん(↘)になっちゃうのかしらん・・?
もし神さまから 「今度生まれるとしたらどっちにするぅ?」って訊かれたら、私ぜったい人魚さん(↗)がいいわ。

    ALWAYS 三丁目の夕日を見ました。

特撮の東京タワーやノスタルジックな当時の町並み、昭和33年という魅力に満ちたキーワード・・。 実際に見てみると、そういう設定は、見ている最中は夢中にさせられるものの、意外なほど心に残りませんでした。
1958年といえば、私の両親が結婚した頃。私なりに思い入れの強い時代のせいなのか、緻密に再現されればされるほど、当時そこにあった何か大事なものが抜け落ちてしまっている感じがしてしまったのかな。

だけどもすばらしい映画でした。
私がとてもリアリティを感じたのは、母親から捨てられた少年―淳之介。 そして彼と美人おかみのヒロミ(小雪)によって、大きく変化していく売れない小説家―茶川竜之介(吉岡秀隆)。 〜 この3人のストーリー。
そこにあるのは、少年のモノ書きになりたいという夢とあこがれ。そして自分を愛してくれる本当の意味でのお父さんとお母さんを強く求める、こどもらしい心。
(私は最近ますます、子どもが持つこの心が、人間にとってとても大事なんだなと痛感するようになってきました。)
この、少年の心、夢、願いが、大人にはない独特な力で、しがない小説家とヒロミという女性をつなぎ、ダイナミックに変化させていく。

                    * * *


   こどもの心。 こども・・って不思議だと思う、人間の世界の中で。
   最近ますます、とってもそう思う。

<追記> この映画は、ぜひDVDでおじいちゃんおばあちゃんと3世代でいっしょに・・と思っていたけれど、映画を観てみて、それができなかった理由がわかってしまった。 子どもといっしょに楽しく観ました。

FUJIROCK ’06(WOWOW)

TVでフジロック2006の模様を見ることができました。
 http://www.wowow.co.jp/music/frf/lineup/index.html


目に飛込んでくる森、山、霧 〜 圧倒されるような大自然〜 そして音楽。 そこには、行った人にしかわからない空気があるんだろ〜なぁ〜・・・と、画面に映る人々の顔を見たらそのことがわかるよう。

さまざまなステージをそれぞれに楽しんでいる様子をダイジェストで見ていたら、こりゃ、どんなに日本のレコード会社が、「おま〜らはおとなしくこれでも聞いてろ」 と自分達にカネになる音楽ばかりを若者たちに押し付けようとしたって、このフジロックがある限り大丈夫なんじゃないかしら? なんて思ってしまった。

参加アーティストが発表されるずぅっと前から通しチケットを買い求めて毎年参加する人も多いという、その気持ちもなんだかわかる気がしてくるような・・。
自然と、人の願い(37年前の)とが2006年のここ苗場で仲良く幸せな場を実現しているようで・・経済原理が全てを覆ってしまった世界の中で、これはひとつの(成熟した)じゅうぶんにカウンターなカルチャーなのかも?


それはともかく、さまざまなステージの中で見た Harry Hosono Quintet。 ステージ全体からどことなく別格な雰囲気が感じられました。その演奏は、オールドタイミーな音楽の味わい深さ、その魅力、音楽の奥の深さをチラッと見せられた感じがして、なんだか強く興味をひかれてしまった! (「音楽は・・深いんだョ」 って) でも一曲だけなんて。
  「Pennies from Heaven」の細野さんの歌、
  「Caravan」の徳武さんのギター、
   コシミハルさんの「Bonnuit Minouche -おやすみおばかさん-」
〜 などもいつかきっと聴けますように・・
(・・そうか、自分にとって、音楽の味わい深さを教えてくれる音楽家はとっても大事なんだな・・。)


他のステージも、見ていていろいろ楽しかったり気になったり。 UA×菊地成孔のステージも・・すごく気になったゾ。