ニュースレターが届く。 その中に年報「あらはれ」第9号のメッセージからの抜粋が。

   細野さん曰く「僕らの演奏は目の前にいるお客さんに対してではなくて、ここにいらっしゃる神様に捧げている」と。 それをその場の皆が一緒に聞いている。 まったく打算のない、心の収斂していく先がはっきりした音楽ほど集中力が高まり、気持ちを平らかにしてくれるものはないことを初めて知りました。 古代人の音楽もこうして始まったものではないでしょうか。 <浜口茂外也


神様は、ただ楽しむ存在なんだと私は思っているから、 ・・ん?そうすると神様に捧げることと、ただ音楽するのを楽しむのと、どこがどんなふうに違うのかしらん?(ンなこと私に判るわけないっか)  
こんなふうにできるだけ古代人みたいにして演奏に居合わせてみたい。 「聴く」というよりそこに「居合わせる」という感じの方が正しいかな?