m-poko2006-03-19

(修正済 -後半-)
立教大学での細野さんの講演(3/18土)。私も行きたかったなぁ。東京に、もっとちょこちょこ行けたらいいのにな。

ところで、蓄音機と聞いて、ふと思いあたったことがありました。といっても、私が16歳の頃見た夢でのことですけどね。

それは不思議なほどノスタルジックな音楽の流れている夢で、その中で私はその音楽のする方へ、家の中を歩いているんです。書斎(ここじゃない)〜祖母と母がおしゃべりしている茶の間(ここでもない)〜そして窓の開いた洋間へ。

そこは窓からやさしい風が入ってカーテンと花瓶のお花をそっと揺らしていて、その傍らに父がプレーヤーの向う側に立って私が歩いて来るのを笑って見ている〜というだけの、短い夢です。目線からするとどうも私はあかちゃんのようです。

ただ、家の中の細部に至るまであまりに詳細なため、後からそれが父の実家だということが判って驚いたほどで、夢といってもちょうどフィルムを巻き戻しているような実録のような不思議なものでした。

そして、その夢の間中流れている音楽。そのなつかしさ、豊かさは、何とも表現できないほどで・・。

その時の木製のプレーヤー・・。なるほどあれはフロアー型の蓄音機だったのか。そう考えると何もかも納得がいきます。

当時私が両親と住んでいた家の方には、ポータブルプレーヤーがあって、いつもレコードをかけてくれていたけれど、父はその実家に帰った時には、蓄音機で、若い頃から集めたSP盤を聴くのを楽しみにしていて、そこで私は蓄音機の音で音楽を聴いていたのかもしれない。

それが蓄音機だったかどうかはともかく、その時の空気、雰囲気、私たちの気持ちなどを読んで、父が手持ちのレコードから選んでかけてくれる、するととたんに家全体の空気が、甘く、やさしく、ゆったりとその空気に包まれて・・。その雰囲気は例えようのないものだったのは確かです。

ただ、夢を見ている間は、よく知っている、とっても懐かしい音楽だったのですが、目が覚めると、メロディーを全く思い出せない。小さい時なので、メロディラインを捕らえることができなくて、曲が終わると、記憶しておくことができないんですね。まだそんな聴き方しかできなかったため、曲名はもちろん、それがクラシックだったのかポップスだったのかさえわからない。

                       

さて、そんな小さい時の夢を見た高校生の頃、私はいつも行っていたレコード店のロックから、やがてクラシックのコーナーものぞいてみるようになり、手探りでレコードを集め、クラシック好きの友人と連れ立って立派な音響設備のホールでの生演奏なども聴くようになったりしたのですが。そういう聴き方は、何かちがう。。しかも世の中はCDの時代。音楽の素養のない私には、あの夢の中でのような音楽、あの何ともいえないひとときに自力で再びめぐり会うことができなくて。あれは夢の中だけの音なんだと、その後すっかりあきらめてしまったのです。

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余談ですが、そういえば私は、親戚の家などで皆が集まって楽しく話している最中に、ひとりふとその部屋を抜け出して、書斎や当時でいう応接間などのし〜んとした部屋に行って、耳を澄ますという癖がありました。板張りの床のかすかな音。澄んだ部屋の空気。ピアノの弦の今にも揺れそうな音。人知れずにそこにいると、ふしぎな安堵感が得られ。そしていつもそこから何か面白いことが立ち現れそうな予感がする。そんな場所を探しては、ふと気がつくと何かを待っているような心地になっていたように思います。